うたの☆プリンスさまっ♪のドラマCD、「Fiction」と「Non-Fiction」が、2018年10月に発売されました。この曲大好きです。
発売されてから時間が経っていますが、ずっと「Fiction」の歌詞を考察する記事を書きたいと思っていました。
今回は、ドラマCDの内容に触れたあと、単純に歌詞だけでも考察してみようかと思います。
「虚構」と「真実」
ドラマCDの物語は、藍がロボットだということを嶺二が知ってしまい、それを乗り越えるまでの二人の葛藤が描かれています。
藍がロボットなのはあくまでドラマの「設定」ということになっています。
しかしうたプリのゲームでも、アニメでも描かれたように、藍がロボットであるのは「真実」です。藍は「設定」としてのロボット役を受け入れ、演じたと思われます。
問題は、嶺二が「真実」を知っているのか、ということです。
藍がロボットであるという「設定」こそが「虚構」だと知ったなら、その時こそ嶺二はショックを受けるのではないでしょうか。
「真実」はドラマの「設定」通りだった。書いていてわからなくなるくらいややこしいです。
このドラマCDのイントロダクションに、
「虚構」か「現実」かーーー
それはこの物語に触れる全ての者に委ねられる。
(中略)
虚構と現実が絡み合い、2つの物語が錯綜する。
という文章があります。
虚構と現実が絡み合う、という部分から考えると、今回のドラマの撮影によって、嶺二が藍の「真実」を知ってしまった、という可能性もあるのかな、と。
それを乗り越えた上でのあのインタビューだとしたらすごいな、と思いますが、プロだから何があっても隠せるし、実際にドラマのように乗り越えたんだと思います。
「本当に全部、フィクションだったらいいのに」という嶺二のセリフにも説明がつきます。そのあとの「レイジ…(?)」という藍のつぶやきからは、嶺二が「真実」に気付いていることをまだ知らない声色にも聞こえます。
一問一答みたいなページでも、嶺二は「虚構に気付かなければ、それはぼくにとっては真実になる。世の中には、知らなくていいこともあくさんある。」と言っていますし、「真実」に気付いていない振りをした可能性もある。
ただ、藍がロボットであることは、「知らなくていいこと」ではないと思います。
むしろ、知った方がいい大切なことのはず。嶺二のキャラ設定的に、受け入れがたくても、最終的には受け入れるはず。
いずれにしてもあのドラマは、「設定」なのに、藍の「真実」をドンピシャで当ててしまい、そのせいで嶺二も「真実」に触れることになってしまった、のかもしれませんね。
このようにいくらでも想像が広がるのが、このドラマCDの面白いところだと思います。
嶺二と藍にとっての「Fiction」の歌詞
「Fiction」の歌詞でキーになるのは、
真実が、現実が、心を押しつぶしても
想像が、幻想が、未来を生んで紡ぐとしたら?
せめて
幸せになる物語
きっと
二人ならば踏み出せる
この二箇所だと思います。
しかしこの歌詞には、「幸せになる物語」が具体的に描かれていません。
わかるのは、「幸せになる物語」=「想像、幻想」だということ。
真実、現実では幸せになれないということが読み取れるので、あれ、バッドエンド…?
嶺二と藍が「想像、幻想」に依存するのがよくわからないな、と思っていましたが、(勝手に)考えた結果、わかりました。
嶺二と藍は、二次元の存在、つまり私たちからしたら、「想像、幻想」の存在です。
なので、ドラマCDや「Fiction」の歌詞で言われている、嶺二と藍、人間とロボットの、二人の歩む時間の差による不幸が、実際には存在しない。
設定上、人間の嶺二とロボットの藍が違う最期を迎えるのは事実で、それを受け入れたうえで、「大事なのはどう生きるか」。
しかし二人は二次元のアイドルであるので、ほぼ永遠に幸せになる物語を紡いでいくことができる。
それを抽象的に描いたのが、「Fiction」の歌詞なのではないかと思いました。
上松先生の真意はわからないですが、そういう風にも聞くことができる物語だと思いました。
今の時代を生きる私たちにとっての「Fiction」の歌詞
今を生きる我々が、「想像、幻想」によって幸せになるのは、100%、いや2000%理解できます。
だって、うたプリみたいな作品によって私たちは生きてる。生かされてる。
現実が辛くても、「幻想」の二次元が私たちを幸せにしてくれている。
最終的には、「夢も、リアルも、生の泡沫(うたかた)と」
消えるのだから、幻想も現実も、どちらで幸せになろうと同じである、と感じました。
もうこれは、初めてこの曲を聴いた時から、この歌詞はほんとに…今の時代を生きる(二次元によって生かされている)我々の心に響くな、と感動していました。
1 水面に浮かぶ泡 (あわ) 。「泡沫の如 (ごと) く消える」
2 はかなく消えやすいもののたとえ。「泡沫の恋」「泡沫の夢」
まとめ
「Fiction」は寿嶺二と美風藍の二人の物語の歌です。
二人の「真実」や「現実」が、心を押しつぶすつらいものであっても、二人の存在そのものが、想像や幻想であり続けることで、未来を生んで紡いでゆく。
それは、幸せになる物語になる。
それを享受する私たちにとっても、彼らの存在が与える未来への影響は大きい。
彼らがいるから、この現実を生きていこう、と思える時がたくさんあるんですよね。
リアルを生きる私たちが、「想像」の彼らに生かされています。
「Fiction」を聞いてそれを強く感じ、
このような作品を生み出してくれた上松先生は本当に神だな、と思いました。